この日記にはタイトルがない

この日記のほとんどにはタイトルをつけていない。
なぜかっていうと、そのとき書くことにテーマ性や一貫性を求めてなかったから。
だからヘッダで「内容を推敲せず、吟味もしない」と断ってるわけだ。
しかし、それを友人は「内容が薄い。やる気が感じられない」ともいう。
まあ、その通りなんだけど。
ただ、自分はそんな誰も彼もがコラムニストや評論家のようになる必要はなく、またなれるわけでもないじゃん、とか思うわけだ。
それよりも、その時直感で得たものをたとえ珍文奇文電波文と言われようとも、まるで編集もせずにメモっておくだけの日記もいいじゃん、とか考えていた。
もっともこの考え方は、読み手の存在を無視したネット日記にあるまじき考え方だけど。
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「萌え」と「BL」と「モンスター」
この三つがいまの遊び最前線。それぞれが男性・女性・年少者で遊ばれている概念なんだよ←電波度☆☆


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